『CLANNAD〜AFTER〜』アニメ日記 3

第17回『夏時間』 2009/02/06放送

 亡き後、まるで生きる死人のように惰性の日々を送る朋也
 モノクロの画面が朋也の心情をそのまま表しているようです。
 5年経ってもまだ立ち直れないとは...それだけ朋也にとってという存在は大きなものだったのですね。 しかし、酒に逃避し、育児放棄をしてしまっいる現在の自分が、忌み嫌っていた自分の父親と同じことをしていることに朋也は気がついてないのでしょうか?

 そんな朋也の前に満を持したかのように現れた早苗さんは、半ば強引に朋也を旅行に誘うのですが、いや〜とても孫がいるお祖母ちゃんには見えません。つ〜か、あの夫婦は歳を取るということを忘れてしまっているんじゃないでしょうか?

 早苗さんの強引なお誘いを断りきれなかった朋也が古河家に行くと、そこにはアッキー早苗さんの姿は無く、テーブルの上には「二人で出かけて来る」という書き置きとJRの切符が二枚。
 なるほどね、これはアッキー早苗さんが仕組んだ『親子の再生』なんですね。
 朋也一人でも面倒を見る事ができるくらいまでにが成長したこの時期に、二人を本当の意味での親子にさせようということなんですね。
 そういえば、早苗さんと秋生のことを『お祖父ちゃん』『お祖母ちゃん』とは呼ばず『早苗さん』『アッキー』と呼んでいますが、まぁ確かにあの二人はどうみても『お祖父ちゃん』『お祖母ちゃん』には見えませんが、それ以上に二人はに対して一線を引いて接していたのだと思います。
 その気になれば最愛の娘が生んだ最愛の孫を我が子のように育てることもできたのに、あえてそれをしなかったのは、いずれ必ず朋也が本当の親子になれる日が来ると信じていたからなのでしょう。

 そして、『真のヒロイン』ことの登場。
 柱の影からこっそりとこちらを伺う姿を見るだけで泣けて来るじゃないですか。
 それにしても、に良く似ていて....ああ、これじゃぁ朋也を正視できないのもわかります。
 かといって、が天使みたいな女の子であるかといえば、決してそうではなく、わがままも言うし、やってはいけないと言われて事はやってしまうし、いたって普通の子どもとして描かれているのですが、スプーンを使う不器用さとか、お米を指先でにちゃにちゃいじったりする場面とか、ほんと京都アニメーションはこういう細かい描写にも手を抜きませんね。
 それにしても、「(おしっこを)ひとりでできた」とか、がわざわざ報告するのは、ほめて欲しいからなんだって、気づいてあげろよな、朋也君。
 もっとも、が生まれてから今までろくに相手にしてこなかったのだから、朋也がどうして接すれば良いのか戸惑ってしまうのも仕方がないことかもしれませんが...

 翌日になっても早苗さんとアッキーが帰ってこないので、朋也は二人で旅行をすることになるのですが、旅立つときの「じゃぁ、しゅっぱーつ!」「おー!」というノリには、かつての朋也を彷彿とさせるものがあります。

 しかし、のスキップからEDの最初の場面につなげるとは、まったく、どこまで仕込みを入れれば気が済むんだ...京都アニメーションってやつは!

 仕込みといえば、古河家の居間には大きなアリクイのぬいぐるみが置いてありましたが、やっぱり早苗さんは北の方に住んでらっしゃるあのお方と知り合いだというのは、本当みたいですね(^^;)。
 

第18回『大地の果て』 2009/02/13放送

 まさに号泣。
 『第16話』では辛さの方が先に立って泣けなかった私ですが、今回のBパートでは涙が止まりませんでした。 つ〜かね、なんなの、この『泣かせ』の波状攻撃は!
 ひとつでも涙腺が緩んでしまうエピソードを次から次へと畳み込む情け容赦のない攻撃を受けたら、こりゃもう泣くしかないじゃないですか!
 今回のエピソードは原作でも泣かされたところですが、アニメ版はそれ以上に私の『泣きのツボ』にクリティカル・ヒットで、京都アニメーションが本気を出したときの恐ろしさというものを改めて思い知らされました。

 アバンは幻想世界から旅立とうとするボクと少女が描かれていますが、後から見ると、二人がつないだ手が朋也がつないだ手とシンクロしているように思えます。

 Aパートの初頭で騒ぐ子どもを大声で怒鳴りつける朋也からは、ささぐれだったものしか感じられず、あれじゃぁが怖がって泣いてしまうのも仕方がありません。しかし、早苗さんの言いつけを守ってわざわざトイレまで行って泣くのいじらしいこと。
 さすがに、罪悪感を感じた朋也におもちゃを買ってあげるのですが、無意識に選んだのがロボットのおもちゃだったというのは、これもまた幻想世界とのシンクロなんでしょうか?
 旅館で「ママのことが知りたい」と願うに「早苗さんから聞いてくれ」とすげなく答える朋也早苗さんもアッキーも「のことを話すのは朋也でなければならない」と、あえてには話さなかったのでしょうが、これは二人にとってもとても辛いことだったに違いありません。この二人の愛情の深さには本当に頭が下がります。

 朋也の二人がたどり着いた場所は一面の花畑。その美しさに心を癒されたのか、朋也はよく見えるようにとを肩車するのですが、朋也が自発的にに触れたのって、が生まれた直後を除くとこれが初めてなのではないでしょうか?
 花畑の中をロボットのおもちゃを持って嬉しそうに走り回る。ああ、ここで第1期のOPにつながるんですね。
 ところが、はロボットのおもちゃを無くしてしまいます。また買えばいいと言う朋也に「あれがいい」と花畑の中必死に探しまわる。そんなの姿を見ているうちに朋也はかつて自分もここに来た事があることを思い出します。
 そして、記憶をたどりながら着いた場所にいたのは、舟さん......ではなく(^^;)、父直幸の母、つまり朋也の祖母である岡崎志乃でした。
 朋也志乃さんを引き合わせるのも早苗さんの計画のひとつだったんですね。

 そして、祖母から聞かされる父直幸の話。高校を中退して朋也の母となる敦子と結婚したこと。貧しいながらも二人幸せに暮らし、その中で朋也が生まれた事。しかし、敦子が事故で交通事故で亡くなり、絶望のどん底に落ちながらも、残された朋也を自分の手で育てるために、直幸が必死で生活したこと。
 直幸は高校中退ですからできる仕事だって限られてくるだろうし、なおかつ子育て優先にしているから、それが原因で仕事上で苦労したり、時には辞めなければならないこともあったでしょう。何よりも、直幸には古河夫妻のような頼れる人がいなかったのです。それ故、直幸が酒浸りになったとしても、誰がそれを責められるでしょう?
 親子で似たような境遇になりながらも、朋也を必死で育てようとした直幸と、絶望のあまり育児放棄をしてしまった朋也
 ここで初めて朋也は父親の自分に対する愛情を認識したのです....いや、思い出したといった方が正しいかもしれませんね。
 そんな朋也に祖母は伝言を頼みます「(直幸に)もう、帰って来るように」と....
 ゲーム本編でも涙が出て来たシーンですが、当然アニメでも涙モノです。

 朋也が祖母と二人で花畑行くと、はまだあきらめずにロボットのおもちゃを探していました。そんなにかつて直幸が自分にしてくれたように、同じ目線になって、あきらめるようやさしく告げる朋也
 しかし、それでもはまだ諦めませんなぜなら、それは
 「あれひとつだけだから・・・選んでくれて買ってくれたものだから…初めて パパが」
 いやもう、ここで完全に決壊です。

 「寂しかったか?」
 「うん」
 「・・・俺、傍にいていいかな?ずっと長い間、駄目なパパだったけどさ。これからはのために頑張るから・・・だから、傍にいてもいかな?」
 「うん、いて欲しい」「でも、今日は大切なものを無くしたから悲しい。パパ、あのね・・・もうね・・・我慢しなくていい?早苗さんが言ってた、泣いていいのはおトイレかパパの胸の中だって」

 そう言って朋也にすがりついて泣き出す
 を抱きしめる朋也
 ああ、ここで二人は本当の親子としてのスタートを切ることができたんですね。

 ここまででさんざん泣かされましたが、これで許してくれるような京都アニメーションじゃありません。
 帰りの列車の中で自らのことを話し始める朋也ですが、自分でも知らぬ間に涙を流していることに気がつきます。後から後から涙が溢れて止まらない朋也
 おそらく、朋也の死を受け入れられず、あの日からずっと泣いたことが無かったんでしょうね。そして、涙を流した事によって、初めての死を受け入れることができたのだと思います。
 それにしても、涙を流す朋也を見てもらい泣きをしてしまうのいじらしさというか、可愛らしさは反則です。

 「、見つけたよ。やっと、見つけたんだ。俺にしか守れないもの。俺にしか守れないかけがえのないもの。それは・・・ここにあった」
 朋也復活。守るものがあるときの朋也は無敵です。

 が、しかし、これでハッピー・エンドとなってくれないのが、『CLANNAD』なんですよね。何しろまだ18回なんです。前シリーズのように23回だったら5回、24回だったら6回残っているわけで、まだまだ一波乱二波乱あることは覚悟しましょう。

 それにしても、の『駒田』ネタまで出てくるとは....ちくしょう、可愛いじゃないか!

 さて、次回から父娘の生活が始まるのでしょうが、当然の幼稚園(保育園)送り迎えは朋也がやるわけで...となると、いよいよあの方のご登場かな?

第19回『家路』 2009/02/20放送

 風子参上!
 曰く『髪の毛が長くてきれいで優しいひと』より先に風子が復活するとは思いませんでしたよ。
 しかし、いくら精神年齢が高校1年生で止まっているとはいえ、砂場遊びをしている25歳って....つ〜か、見た目もに近いんですが(^^;)。
 お互い「はじめまして」と挨拶をしていることからわかるように、朋也風子の二人の記憶から第1期の出来事は消えてしまっているのですが、やはり心のどこかには残っているんでしょうね、
 朋也風子の頭に手を乗せる
 風子払いのける
 朋也風子の頭に手を乗せる
 風子払いのける
 これだけでも、高校時代のあの時の朋也風子のやりとりそのもので、懐かしいやら切ないやら...
 の可愛らしさに思わず抱きしめてしまい、恍惚ヒトデを飛ばす様は、リアル風子も同じなんですね。どさくさにまぎれてをお持ち帰りしようとするのも風子らしいというか...
 あの時は風子を妹のように面倒をみてくれましたが、今度は風子の面倒をみてくれるんでしょうね......もっとも、精神年齢はあまり違うように思えませんが(^^;)。

 それにしても、今回のアバンは素晴らしかった。
 初っ端から『ANA』使うなんて、そりゃぁ反則です。
 これまでの朋也の所業に対して非難をすることもなく「幸せになってくださいね」って......早苗さんはどこまで良い人なんだ!
 ああ、私も早苗さんとなら一緒に旅行をしてみたいです。
 早苗さんとアッキーにとっても、はかげがえのない存在であり、を育てる事によって娘を亡くした悲しみにとらわれることなく生活する事ができたのでしょう。それでも、あくまでも朋也の子どもであるというスタンスを崩す事なく、朋也が父親としての自覚が持てるようになったら、笑顔で汐を送り出すことができるなんて......まったくこの二人の人間的器の大きさには脱帽です。
 だからといって、早苗さんからもアッキーからも渚を失った悲しみや心の痛みが無くなったわけではありません。ただ強靭な精神力によって蓋をしていただけなのです。
 それだけにアッキーから「もう泣いてもいいんだぞ」と言われて嗚咽をあげる早苗さんの姿が切なくて.... 
 それにしても、このときのアッキーのカッコいいこと。いやぁ、男たるものかくありたいものですね。

 そして、今回のもうひとつのメインとなるのが『父と子の和解』です。
 いや、実際には両者の間に確執があったわけではなく、朋也が父親である直幸に対して一方的に確執を抱いていただけだったんですが......
 第1期でも智代が実際に直幸と対面しているのですが、その二人の口からは直幸に対する悪い印象は一言も語られていません。むしろ二人の目からは『優しそうな人』と見えていたんですよね。
 もちろん、朋也が直幸を嫌う原因が無かったわけではありません。直幸が定職に就かず酒浸りの日々を送っていたのも事実だし、朋也が生き甲斐であったバスケットボールができなくなったのも、直幸との喧嘩による怪我が原因であるのも事実です。
 しかし、その一方で、直幸が最愛の妻を妻を交通事故で亡くした後、たった一人で朋也を育ててきたのもまた事実なのです。
 直幸朋也のことを『朋也くん』と他人行儀に聞こえる呼び方で呼ぶようになったのも、自分が原因で朋也がバスケットボールができなくなったことで、自分が父親としてふさわしい人間であるか自身が持てなくなったが故なのではないでしょうか。

 との旅先で出会った祖母、志乃から直幸の過去を聞かされ、自分がどれだけ直幸から愛情を注がれて育ったかを思い出した朋也とともに直幸の元を訪れます。
 朋也直幸と会うのは刑務所(又は拘置所)にとともに面会に行ったとき以来ですから、5年ぶり...いやそれ以上でしょうか。久しぶりに再会した直幸はとても40代とは思えない老け方で、もはや廃人一歩手前といっても良い状態でした。
 そんな直幸朋也
 「あんた、もう十分がんばった。だからさ、もう休めよ・・・」
 と告げます。
 その言葉に
 「オレは、やり終えたのだろうか・・・?」
 と答える直幸
 いや、これは朋也に対する返答というより、自問自答に近いものなのかもしれません。
 そして、朋也の姿と、その横に座るの姿を見て、自分の役目が終わった事を認識する直幸
 「そうか・・・いつの間にかやり終えていたのか・・・」
 原作でも涙腺を刺激させられた場面ですが、アニメだとそれ以上に胸に迫るものがありました。

 翌日、直幸志乃が待つ故郷へ送り出す朋也
 涙を流す朋也の頭に手を伸ばす直幸の姿を幼い頃に朋也の頭をやさしくなでる直幸の姿とオーバーラップさせるシーンは、アニメではなければできない演出ですが、これはもう卑怯ですよ。
 呼び方も『朋也くん』から『朋也』に戻っているし、これでようやく直幸朋也は本当に父と息子に戻る事ができたんですね。

 父親の後ろ姿を見送りながら、「あの人の人生は幸せだったんだろうか?」とつぶやく朋也の言葉はある意味自問自答なのかもしれません。何故なら、これから自分自身が父親と同じ道を歩んで行かなければならないのですから...

 さて、次回こそ『髪の毛が長くてきれいで優しいひと』が登場してくれるんでしょうね。
 

第20回『汐風の戯れ』 2009/02/27放送

 『髪の毛が長くてきれいで優しいひと』がようやく登場してくれました。
 高校時代、将来の夢として保母さんを目指していたは、ちゃんと自分の夢を果たしていたんですね。しかもすっかり大人っぽく綺麗になって...
 最初こそ「汐ちゃんの担任の藤林杏と申します。どうぞ、よろしくお願いします」と猫をかぶってみせていたけれど、中身はあの頃のそのままで、朋也が5年間も育児放棄していたことに対しては一切責めることなく、それ以上に朋也が復活したことを心の底から喜んでいるようでした。
 を含めた高校時代の友人達はを失った朋也のことを心配していたのですが、それでもあえて朋也のことを『そっと見守る』道を選んでいたのです。友人ならば朋也を叱咤激励するべきだという意見もあるかもしれませんが、高校時代の二人を見ていた彼らだからこそ、朋也の心の傷の深さを理解しているからこそ、安易な叱咤激励をせずに、朋也の事をそっと見守っていたのです。
 朋也って息の合ったお似合いのカップルであり、将来朋也と再婚するという世界があっても不思議ではないというか、きっとそういう世界も存在していたのかもしれません。う〜か、絶対会あって欲しいと思います。
 ところで、は看護婦という自分の夢を叶えたんでしょうか?まさか密かにあのルートが進んでいるとか......

 もっとも、今回はタイトルどおり『風子と汐の戯れ』がストーリーの中心となっているのですが、あの風子の天然の言動が、父娘二人というどうしても寂しくなりがちな岡崎家に新しい風を送り込んでくれているんですよね。朋也風子の兄と妹のようなやりとりを見て浮かべたの笑顔がそれを物語っています。
 それでも、朋也風子のカップルはどう見てもあり得ませんが...

 しかし,幸福はいつまでも続きません。アッキーvs朋也のリレー・バトルが繰り広げられるはずであった幼稚園の運動会の前日,は熱を出してしまいます。その症状はまるでのようで......

 ところで、一人で散歩をしていたと出会ったときに風子が持っていたのは『チビ太のおでん(風子バージョン)』ですよね。
 

第21回『世界の終わり』 2009/03/06放送

 これでもかと言わんばかりの不幸の連鎖。
 原作を知らなければ、何故ここまで朋也が不幸にならなければならないのか、これはやり過ぎではないのか、と思ってしまう人も多いかもしれませんね。
 これは「最愛の人の死」で泣かせるだけの卑怯なアニメだ、と批判する人もいるかもしれません。
 しかし、これがあるからこそ、来週待ち受けているエンディングが許されるんですよ。

 と同じ原因不明の病気でした。
 それを聞いてショックを受ける朋也に「しっかりしろ!」と激励するアッキーの言葉には自分自身がその困難を乗り越えて来たからこその重みがありますね。
 幼いが、今は病院が立っているあの森で何かに守られるように死の淵から蘇ったのも5歳のときであり、やはりそしてあの森を含むこの町とは何か深い縁がるのかもしれません。
 そういえば、が一人家を抜け出して何かに誘われるように向かっていたのがあの森なんですよね。

 の側にいるために仕事を辞める朋也
 それは確かに社会人としては無責任な行為かもしれません。しかし、かつて自分の父が選んだように娘ののために生きることを選んだ朋也にとっては、それが最善の行為だったのに違いありません。
 そんな朋也に「今度戻って来る時まで」と自分のドライバーと朋也のドライバーを交換して送り出す芳野さんは「男ならかくありたい」存在ですね。まぁあの独り語りだけはちょっとアレですが(^^;)。

 一人では着替える事もトイレも行く事ができないくらいに衰弱してしまう
 それを看病する朋也も見るからにげっそりとやつれてしまいました。
 あの冷蔵庫の中身を見るからに貯金もきっと底をついてしまったに違いありません。
 そんな状態にあっても「パパと旅行に行きたい」と願う
 最初は「元気になってから」と受け流していた朋也ですが、「今でないとダメなの」と言うの言葉に何かを感じた朋也と旅行に行くことを決意します。
 その直前に半ばもうろうとした朋也の視界に『雪で真っ白になった幻想世界』が見えたのも、何か意味があるんでしょうね。
 もちろん、旅行なんて、これはの健康状態を考えれば、当然やってはいけないことです。しかし、これがの最後のお願いであると思ってしまったら、朋也に断れるはずかありません。何故なら、朋也はある意味願いを叶えることを義務づけられたような男だからです。

 それにしても、一歩一歩辛そうに歩くの姿が、これでもかってくらいに細かく描写されているだけに、もう見ていて辛くて辛くて... しかも、あの日のように雪まで降って来て、これはもうどこからどう見ても死への旅立ち以外の何ものでもありません。
 そして、ついに力つきて倒れてしまった朋也の腕の中で「パパ、大好き」という言葉を残して息絶えてしまうのです。原作を知っていても、ここは本当に辛いシーンですね。
 そして、朋也まで悲痛な叫びをあげた後、雪の中倒れてこんでしまいます。

 幻想世界でも同じように真っ白く雪が積もった平原で少女が倒れてしまい、いよいよもって『幻想世界』の少女とボクと、朋也そしてがシンクロしているというか、何か大きなつながりがあることが明らかになりましたね。
 幻想世界のボクが見上げた空からは何か光のようなものが降り注いできたように見えたのですが、あれはいったい....?

 一方、朋也を失ったときと同じように物語の冒頭に意識が遡ります。
 前回は自らの弱さ故にとの出会いを無かったことにしてしまった朋也ですが、はたして今回はどうするのでしょうか?

 そして、次回が......え?もう最終回?
 前シリーズと同じように23回、もしくは2クール丸ごと24回放送だとばかり思っていたのに、22回で終わりとは、こいつはちょっと吃驚です。
 そうはいっても、次回が最終回であることは事実であるわけで、あとはどのような最終回を迎えるのか、ただただ座して待つのみです。

 ところで、前シリーズのDVD最終巻である第8巻には『智代シナリオ』という素晴らしいオマケがついていたわけですが、今回は通常どおり3話収録となると2話分余裕があるわけで、となると、もしかしたらもしかして本編ではできなかった『杏シナリオ』を収録してくれるんでしょうか?いや、京都アニメーションならきっとやってくれるはずです。しかも2話分たっぷりと!
 

第22回『小さな手のひら』 2009/03/13放送

 いよいよ『CLANNAD AFTER STORY』も最終回。
 個人的にはきれいにまとめてくれたな...と余韻にひたっておりますが、この最終回は賛否両論分かれるかもしれませんね。特に原作を知っている人と知らない人では...

 実際うちの愚息なんかは、渚が死んだ回で「ヒロインが死んでしまうアニメがあるなんて」という驚きとともに珍しくこの手のアニメを評価して見るようになったんですが、最終回では「今まであったことが無しになるなんて、どういうことなんだ?」と憮然としていましたしね。

 確かに原作を意識せず『幻想世界』のことにはまったく触れずにストーリーを進め、「渚亡き後父親としての自覚に目覚めた朋也が父親と和解し、と二人で新しい人生を歩み始める」という場面で最終回を迎えた方が、原作を知らない人にとってはわかりやすかったかもしれないし、またアニメとしての完成度も高かったのかもしれません。

 しかし、『幻想世界』が無ければ、それはもう『CLANNAD』とはまったく別の作品になってしまうのもまた真実なんです。
 最初からしっかりと見ていれば『幻想世界』と朋也のそして朋也の世界との関係が自ずからわかるとは思うんですが、意識して見てなければ気づかないかもしれないし......このあたりは自ら意識して取り組まなければできないゲームと、ぼんやりと眺めているだけでも不具合は無いアニメという媒体の違いなんでしょうね。
 『幻想世界』といえば、京都アニメーション版『CLANNAD』では『幻想世界の少女=汐』とはっきり明示していますが、原作では『幻想世界の少女=汐』とは明示されていません。アニメではラストで風子が見つけた少女は『幻想世界の少女=汐』とはっきりわかるように描かれていましたが、原作では『幻想世界の少女』の姿のままなんですよね。
 もっとも、原作をやっていれば『ボク=朋也』『幻想性界の少女=汐』であるということは想像できるし、そう想像できるように作られているのですが...

 が,しかしご都合主義だろうが何だろうがそんなこたーどうでもいいんです。
 前回まであれだだけ過酷な運命にもてあそばれていた朋也の3人家族が、本来あるべき幸せなルートにたどり着けたことをまずは喜ぼうじゃありませんか!
 あの幸せ一杯の岡崎一家の姿を見ることができただけでも十分じゃないですか!

 他のキャラのその後の姿も短いショットながら映されていたのですが、一番吃驚したのが、ことみです。サングラスをしてオープンカーを飛ばすことみの姿なんて、誰が想像できたでしょう?つ〜か、ことみにクルマの運転させて大丈夫なんですかね?
 その一方で、何故か智代だけが愁いを帯びた表情だったのが気になります。あれはもしかしたら『智代アフター』の智代の姿なんでしょうか?

 しかし、最後の最後ですべてを持って行ってしまったのが風子でした。
 いや〜、風子はいつでもどこでも風子なんですね(^^;)。
 風子に適切なツッコミを入れる事ができるのは風子マスターである朋也以外には誰も存在しないということを改めて認識させられましたよ。

 さて、一応今回で最終回を迎えた『CLANNAD AFTER STORY』ですが、これで本当の終わりというわけではなく、来週は番外編として『一年前の出来事』というタイトルで『CLANNAD』が始まる1年前の出来事が描かれるようです...ということは、朋也が何故藤林姉妹の杏だけを下の名前で呼ぶようになったのかという、あのエピソードもあるんでしょうか?
 

第23回『1年前の出来事』 2009/03/20放送

 今回は番外編ということですが、内容的には、コミックにもなったOffisianl Another Story『光見守る坂道で』に収録されている『勇気を出して』(原作:麻枝准)と『男友達』(原作:魁)をMixしてアレンジしたものでした。
 『光見守る坂道で』は『Clannad』のAnother Storyとして良くできた作品なので(作者本人が書いているんだから当然といえば当然ですが),それを一部とはいえアニメ化してくれたのは嬉しいサプライズです。

 ちなみに、がメインの部分は基本的に『勇気を出して』が、メインの部分は基本的に『男友達』が元ネタとなっています。

 『勇気を出して』からは『木村さん達との寄り道&試着』『朋也&春原が作ったくす玉に引っかかって落ちてきたタライに頭をぶつけるアホの子』等が使われていますが、なんとあの『ウルトラの母』も原作通りなんですよね。
 もっとも、タライが落ちて来るだけのシーンをさながら一大スペクタルのように引っ張る等アニメならではのアレンジもなされていますが...
 また、朋也と渚が廊下ですれ違いざまに肩をぶつけるのも、アニメ・オリジナルですが、それに呼応するかのような「たまたますれ違った人間とも、もしかしたら将来深い絆を結ぶかもしれない」(すみません、原文通りじゃありません(^^;)というアッキーの台詞もまたアニメ・オリジナルです。
 しかし,これは実に上手い台詞ですよね。実際,こうして1年前はまったく接点の無かった朋也達が何かに導かれるようにして1年後に出会い、そして深い絆を結ぶようになるのですから...

 『男友達』からは『朋也が藤林姉妹の内で杏だけを名前で呼ぶようになったいきさつ』『杏が昼寝をしている朋也の寝顔に思わず見とれているのを春原に見られてしまうイベント』等が使われていますが、あのサービス・シーンかと思われた入浴シーンも実は台詞を含めて原作通りなんですよね。
 もっとも、原作ではの占いは『杏が昼寝をしている朋也の寝顔に思わず見とれているのを春原に見られてしまうイベント』にの後に行われており、アニメでは春原の書いた(頭の悪そうな)ラヴ・レターにが振り回されていた場面も、原作では春原から「(朋也が)中庭で待っているから」と言われた朋也を探しまわって、だまされたことに気がついた時に偶然に朋也と出会うという嬉し恥ずかし場面となっています。個人的にはこちらの方が見たかったな...とは思うのですが、そうなっちゃうと杏ルートに行っちゃいますからね(^^;)。
 しかし,無印第4回春原「告白したい人がいるから」とを呼び出したことに対して,があれほどまでに立腹したのは,過去にこういう経緯があったからなんですね。
 ただ残念なのは『朋也が藤林姉妹の内で杏だけを名前で呼ぶようになったいきさつ』は描かれているのに、逆に『杏が朋也と春原を下の名前で呼ぶようになったいきさつが』描かれていないことです。
 そういえば、『朋也が藤林姉妹の内で杏だけを名前で呼ぶようになったいきさつ』のきっかけとなった朋也春原のエスケープ及びその罰としての入学式の準備ですが、これは原作では『勇気を出して』の中の話であり、ここではまったくは絡んでこないんですよね。このあたりの絶妙なMixぶりも、いかにも京都アニメーションらしいですね。

 それなのに、ああそれなのに次回が『総集編』ってのは、いったい何なのさ!
 前シリーズでは本編では描かれなかった『智代シナリオ』をDVDオンリーとはいえきちんと作ってくれた京都アニメーションだから、今回は必ずや『杏シナリオ』で萌え殺してくれると思っていたのに......まさか『総集編』とは.... ガッカリにもほどがありってもんです。
 いやいや、この『総集編』はあくまでもTVだけの話で、DVDではきっと必ず絶対に『杏シナリオ』をアニメ化してくれるはずです
 そうですよね、京都アニメーション様!!
 

第24回『総集編 緑の樹の下で』 2009/03/27放送

 前回予告を見て「次回が『総集編』ってのは、いったい何なのさ!」
 とがっかりしてしまい、初めてリアルタイムでは見なかった『総集編』ですが、これが思いの外良い出来でした。

 何よりも「朋也が汐に聞かせる『汐が生まれる前の話』という設定」にしていたのが良いですね。
 『渚も汐も死んでしまう世界』では、朋也に亡きの話をする場面がありましたが、『渚も汐も死なない世界』では、おそらくそれまで朋也が汐にとの思い出話をすることなどなかったのではないでしょうか?
 まぁ普通自分の子どもに夫婦の馴初めを話す親なんていませんからね。

 もっとも、この『総集編』は単なる『総集編』でなはなく、「朋也が汐に聞かせる『汐が生まれる前の話』」という形をとりながらも、その実は最終回だけではわかりににくかった部分の補完をしている回といえるのではないでしょうか。
 『渚も汐も死んでしまう世界』も『幻想世界』も、それが平行世界なのか巻き戻しなのかは定かではありませんが、いずれにせよ朋也にとってそれらは実際に体験した出来事であったことは確かであり、しかし、その過酷な体験を繰りかえしながらも、その中で積み重ねられた人々の幸せな思い(その人々の幸せな思いこそが、回を重ねる度に木の下で数を増していったあの光の玉の正体なのです)が『渚も汐も死なない世界』という奇跡を生みだしたのです。
 こんな言い方をすると不謹慎かもしれませんが、『渚も汐も死んでしまう世界』すら、『渚も汐も死なない世界』を生み出すために必要なフラグのひとつだったんですよね。
 最終回の展開を不自然だとかご都合主義だとか思ってしまう人もいるかもしれませんが、無印第1回からもう一度じっくりと見直せば、色々な所に伏線が張られている事に改めて気がつくはずです。

 『総集編』の最後をピクニックに出かけた岡崎一家+風子という『アフター・ストーリー』の『アフター・ストーリー』で締めたのも、京都アニメーションらしいGood Jobでしたね。

 しかし、それでもやっぱり京都アニメーション版『杏シナリオ』が見たいなぁ...見たいよなぁ...、OVAでも構わないから作ってくれませんかね...,ねぇ京都アニメーションさん。
 

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